Tsuzyの絵日記11~大阪能勢の時代2

4.大阪能勢の時代

5-a 雨の中、日生ニュータウンのサピエにお買物。

5-b 久々の営業で無理が祟ったのか、歳のせいか心電図異常が出て循環器センターで精密検査を受けることに。取り敢えずは大丈夫と言うことになったのだが…。
5-c 一旦悪くなった心臓は元に戻らない。それ以降毎年心電図異常で引っ掛かるようになったが、22年後の2014年、「時間も経っているし」と再検査指示が出て再び循環器センターで検査を受けた。この時もまだバイパス手術は不要との診断。

5-d 父も心臓病で亡くなったし、元気なうちに家族旅行でもしようということになり、GWに家内の運転で山口~山陰を回ることにした。さすが数年になると上の子高校受験を控え「まだ活きているの?」と言う感じでこの習慣は無くなった。秋吉台で馬に乗る娘.
5-e 山口県青海島で貝を拾う。
5-f 湯兎温泉

 
5-g 萩の明治維新史跡を自転車で回る。
5-h 長門峡 湯ノ瀬温泉

6-a 娘が一輪車に乗れる様になった。
6-b
 白浜の会社の保養所に泊まってアドベンチャーワールドへ。
6-c 転職して2007,8年愛知県小牧市に単身生活をする機会を得た。岐阜の母が脳梗塞で倒れ入院していたこともあり、小牧から1時間、週3回病院に通った。この時市民センターの絵画教室にも通っていた。絵は借りていたマンションの間取りで家賃は5/月。

7-a 椿本時代、偶々受注した案件で据付指導の要請があり中国瀋陽市へ。父が従軍していた奉天を見てみたい一心で自ら手を上げた。改革開放15年目の中国は、当時中国4番目の大都市とは言へ日本の高度成長期前の姿。片側3車線の幹線道路に車が通るのは1車線のみで後の2車線は自転車と馬車。この時アテンドしてくれた事務の女性は、木綿のストッキングに1週間ずっと同じスーツを着ていた。以来、中学の頃の生活に郷愁を感じ中国の担当者と連絡を取り合っていたがそのお陰で後に中国各地を旅行することになった。

7-b 中国旅行は、奉天から司馬遼太郎の「坂の上の雲」の舞台となった日清、日露の戦争跡、その後は南京、そして5回目のこの時は紹興・杭州。コロナまでに10回位は行った。絵は、王儀氏の曲水の宴で有名な蘭亭を訪れた時

7-c 紹興にある魯迅の旧宅や通っていた塾の三昧書屋も見学。紹興は何処に行っても魯迅で、小説を再現したテーマパーク「魯鎮」もあり阿Qも歩いていた

7-d 観光地めぐり。魯迅の家の近くには、革命家秋瑾の実家も残っている。

7-e 旧い街並みが古鎮として観光地になっている。

7-f 杭州のなかでもっとも美しい場所として知られる、西湖。水も三方を山に囲まれそこから湧き出るのでキレイ。

~つづく~

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