Tsuzyの絵日記3~東京時代 会社生活の日常

1.東京時代 会社生活の日常(1979年)
出勤ルートは、西武新宿線 新所沢-高田馬場、地下鉄東西線に乗り換えて日本橋へ。関西では考えらない通勤距離と満員列車に高田馬場で一服、休憩する同僚もいた。

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営業会議の風景
我々の部門は、事業部の中でも非主流で商品に競争力がある訳でもなく、特定の大口顧客がある訳でもなくザラ場漁りの営業部隊。僅かな数値目標もなかなか達成できず、笛吹けど踊らず、会議で「駄馬が屑担いで歩いている。」と自棄気味に言ったら先輩社員にひどく叱られた。

3-b
組織変更
オイルショックの後、すごい不景気が来て競合他社では3割も人員削減をしたところもあり、我が部門に対応してくれた設計部隊も解散、皆バラバラになった。

3-c
仕事が終わったら、近くの居酒屋で一杯。グチを肴の憂さ晴らしはどこも同じ風景。

3-d
そんな時、飛込み営業でブラウン管工場の自動化の話に遭遇。当時日本のブラウン管生産量は本家米国を抜いて世界一。中でも蛍光塗料を塗る塗布工程は沢山の人が働いており、その人達の出す埃で歩留り(製品の中で合格品の割合)が悪かった。
不景気で優秀な設計者が空いている状態も幸いして塗布工程の無人化に成功。客先ではその年の社長賞を受賞して関係者は皆一階級特進。その後も次々と受注が決まり、営業としての在り方や技術面の知識もここで学び私の営業スタイルの原点となった。只、自分の担当商品を放り出しての取り組みに社内からの批判も多かった。

3-e,f
コートやスーツを買ってもらった時。
服やネクタイは、すべて家内が選んでくれた。

3-g
仕事帰り高田馬場で古本市の催しがあり立ち寄る。

3-h
休みの日は、社宅の連中とよくテニスをやった。私は会社に入ってからテニスを習ったのだが、この時のお陰で今も近所の連中とテニスを続けている。家内は学生の頃からやっていてはるかに上手。

~つづく~
土谷重美

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