Tsuzyの絵日記5~大阪北千里時代

2.大阪北千里時代(1980~

昭和55年、同じ部門ではあったが大阪営業所に転勤となった。ブラウン管の仕事は、本来のシステム部隊に引き継ぎ、大阪では駄馬が屑を担いで回る以前の仕事に戻った。

家は家内の実家も近い北千里の中古マンションを購入。阪急電車の音が少しうるさかったが営業所のある梅田にも近かったし、万博公園西口にも歩いて行け、緑の多い住環境が気に入った。大阪は親戚、友人も多いし、奈良の実家にも2時間半もあれば帰れる。多少の親孝行も出来るだろう。

東京はその広さゆえの不便さもあったが、大阪は京都、神戸も近く何もかもコンパクトにまとまっていて3畳の下宿の便利さがある。(3畳の下宿ではわざわざ立たなくてもT定規一つあればコタツに座ったまま何でも取ることができた。)

父は実家に帰り易い様にと早速日産バイオレットの中古を買ってくれ、私達は自動車の免許を取ることにした。まさか自分たちが車を持つ時代が来るとはこれまで予想もしていなかった。免許は先ず家内が取って、私は二輪の免許を取ってから普通免許を取った。当時、大阪はどこも交通渋滞がひどく、二輪の方が実用的と思ったからだ。

水が変わったからか大阪に移って間も無く女の子を授かった。近くに居る義母のお世話になって子育ては東京よりずっと楽であった。

中古ではあったが憧れのやっとバイクを手に入れた。京都の八幡市にバイクの部品取り中古センターがあってお気に入りのパーツを買って来ては取り付けた。その内、エンジンまでバラして組み替え、その間は乗れないのでもう1台下駄代わりのモトクロスバイクを買う羽目になった。

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真っ先に梅田に。阪急三番街に「川の流れる街」が出来、奥に池が作られていて、オモチャのアヒルが浮いていた。長男はこれが気に入って一日中その場を離れようとはしなかった。

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電車一本で行ける天王寺動物園には子供を連れてよく行ったが、この日は初めて京都動物園に行った。小規模ながら、充実した種類の動物が揃えられていた。

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マンションに同じ年頃の子供がいて直ぐ仲良しになった。この日は一緒に奈良公園へ。

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能勢の妙見さんへ。後に妙見山の麓に住むことになろうとは当時考えもしなかった。

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神戸の王子動物園前にある美術館でボナール展。ボナールの絵日記が紹介されていて、墨で塗りつぶしたような画風に意を強くした。

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北千里の市民プールへ。家から近かったので、2人目が出来てからもよく行った。

~つづく~
土谷重美

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