♡「ボタニカルアート」とは植物が正確にかつ美しく描かれた”植物の肖像画”   

「ボタニカルアート」とは、”植物学的な芸術”という意味です。植物学的な芸術とは、植物学の立場から
植物の品種の特徴が正しく正確に描かれた絵画だということを示しています。
例えばゴッホのひまわりのように、心象を投影したイメージでもある花の絵などは、その定義から外れま
す。植物学の立場から描かれていることに加えて、美しく魅力的に描かれたアートであることも「ボタニ
カルアート」が成立する条件として重要です。
「ボタニカルアート」とは、植物が正確に、かつ美しく描かれた「植物の肖像画」であるといえます。


      ♡ボタニカルアート」の歴史とは?
           古代ギリシャの『薬物誌』が植物の図化の始まり

ボタニカルアートは科学と芸術の融合から生まれたアートだといえます。その起源は有用な薬草を見分ける
ために、植物を調べて図化したことにあり、植物学の領域で発展したものです。
近代科学が発達するはるか昔の古代ヨーロッパの時代から、草花や樹木を精密に描いて分類し、植物を病気
の治療などに利用することが行われていました。
古代ギリシャの医者で植物学者のペダニウス・ディオスクリデスは、薬草をまとめた本草書『薬物誌』(マ
テリア・メディカ)を紀元1世紀に編集しました。優れた内容であったため、18世紀までの長きにわたって
西洋の薬学・医学の基本文献となりました。もともとはテキストのみでしたが、本草学者のクラテウアスが描いた植物の精密画
約400種が、のちに取り入れられました。植物画の入った『薬物誌』は中世の時代に膨大な写本が作られ、一部が現存しています。
中でもコンスタンチノープルで発見され、ウィーンの帝室図書館に収蔵された「ウィーン写本」(6世紀)が有名です。

                                        現代のボタニカルアートをリードするイギリス

園芸を愛好する文化が浸透しているヨーロッパ諸国の中でも、特にイギリスはその層が厚く、植物を愛好する
文化が発達してきました。1787年に創刊された、一般市民に向けたボタニカルアート専門の雑誌『ボタニカル・
マガジン』は現在まで続いています。
マガジンを刊行しているのが1759年に宮殿庭園として始まった王立植物園「キューガーデン」です。イギリスの
植民地政策と深い関わりがあり、イギリスが領有する諸地域の植物を研究していました。研究の過程で膨大な植物画が描かれ、多くの植物画家が誕生しました。