Tsuzyの絵日記8~兵庫県加西市の時代

3.兵庫県加西市の時代
昭和60年、兵庫県加西市にある兵庫工場勤務となった。ここは昭和57年に竣工した新しい工場で、我々の扱い商品の設計、製作もここに集約されていた。私の仕事は、営業の後方支援と要望事項の工場への展開、カタログ・販売資料の作成から商品の改善・改良、次期新商品の企画なども含まれる。営業時代は担当顧客のことだけを考えていればよかったが、ここでは競合他社の動きは勿論海外の動向等も知らなければならず色々勉強させてもらった。

先に工場に赴任した人達の多くは、便利さと教育面から1時間近くかかる姫路市内に住んでいた。私は大阪から比較的近いので寮での単身赴任を考えていたが、家内の父親が単身赴任先で早世していることもあり一緒に行くと言い出した。田舎のことで住宅事情は悪く、最初は空き農家その後は唯一の管理職社宅(戸建)に入れてもらった。

マンションと違い出入口が複数ある住居に喜んでくれると思ったが子供達はポットントイレを怖がり庭の柿の木の根元で新聞紙を敷いて用を足す始末。自然環境の中で自由に遊べると思ったが、近くの溜め池は柵で囲われて遊泳・釣り禁止。田舎の方が遊べるところが少ないことを知った。 

下の子は幼稚園だったこともあり新しい環境にすぐ馴染じみ近所の人気者になったが、長男は小学校上級で田舎の学校に適応できず、ブクブク太り出した。結局中学入学を機に大阪に帰すことにし、能勢の田舎に家を建てた。1年後には私も再び大阪営業所勤務に戻ることになり、加西での生活は家族が4年、私は5年の短いものだった。

1-a,b
女の子は益々可愛くなってゆき、洋服も自分の好みを主張するようになって来た。この時期を残そうと会社からVTRの機械を借りて収録。

1-c,d,e
長女は、移って直ぐ近くの幼稚園に入った。自転車乗ることも覚え、工場にテニスコートがあったので、テニスも練習した。

1-f
負けん気の強い子で篠山城に行った時も持って行ったバスケのボールで何度もチャレンジ、遂にシュートを成功させた。

1-g
いこいの村播磨公園にもよく行った。捨て犬だったのか、知らない犬と駆けっこして
喜ぶ長女。

1-h
社宅の庭でバトミントンもよくやった。

1-i
娘が描いた絵(5歳)

~つづく~
土谷重美

 

 

 

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