Tsuzyの絵日記4~東京時代 家庭生活
1.東京時代 家庭生活
4-a
緑町中央公園の陸橋から新所沢駅(右方向)を望むスケッチ。この公園には滑り台やブランコ、バネの着いたお馬さんの乗り物があって子供が喜んで遊んだ。
4-b
買物はいつも駅の西友か緑町商店街。冬と言うこともあったのか当事家内は好んで和服を着ていた。
4-c,d
親子3人、買物やちょっと店に入るのも楽しかった。
4-e
社宅の窓の風景。狭くて旧い社宅であったが明るく風通しも良く住み易かった。
4-f
節分の日、子供に鬼の話。
4-g
基地跡の公園で、漸く走ることを覚えた子供が芝生の斜面を下り降りることに夢中に。
4-h
時々、駅裏のバッティングセンターに行って気分転換。
4-i,j
車の無い時代で、自転車に乗って近隣のクヌギ林をよく走った。ある時、花屋さんを見つけ珍しいグリーンネックレスを買った。
4-k
男の子らしく恐竜などが大好き。偶々、上の博物館で恐竜展があって見学に。
4-l
子供が生まれる前、家内と横浜中華街へ。
4-m
モディリアーニ風に描いた家内の肖像油画。
4-n
長男が生まれた時の年賀状、型紙の上に薄い紙を貼って版画にしたもの。「山口さんちのツトム君」が流行っていた。
4-o
木工細工を社内報に投稿。子供が出来るまでは、木工細工で部屋を飾ったし、一部は友人に贈った。ラワン材を彫刻し、絵の具で着色後、ニスを塗ったもの。
社内報掲載の詩の内容は以下の通り。
青春剥落
かつて 時間さえ潰していれば 給料のもらえた時代があって 存分に遊んだけど焦りもあって 自分の生きた証どこかに残そうと こそこそとこんなものを作っては 昔かかわりあった人に送り続けたものでした ある日 たまたま働いていたところを人に見られ それからと言うもの次から次へ 仕事を押し付けられ馬車馬のような毎日 小さな空白すっかり奪われ ただひたすら走ることを強いられているのです 道端にはきれいな花も咲いているのでしょうけど しあわせ行きの立て札もどこかに立っているのでしょうけど わき見することも立ち止まることも 今は許されないのです 「手作り」なんて体にいいこと とてもやってられないのです とにかく私は走らなければ… |
~つづく~
土谷重美
おひさしぶりです コロナに負けず元気にやってます 私は1976-1986までD棟に住んでいました。
本当に懐かしです ベランダから埼玉銀行の社宅が塀越しに見えました 久米英雄さんC棟にいましたよ 中央公園の陸橋からのスケッチは当時をおもいだします 貴重なスケッチありがとうございました。
身体に気をつけてくださいね。 網野
網ちゃんもD棟に住んでいたのか!
私は2階で、向かいには、服部君、一階上には韓国コンベヤから帰った設計の久保さんが住んでいました。
あの辺りももう変わっているだろうな~。
来年はフリーになるし、又遊びに行きますよ。